定例ハイキングA 金毘羅街道(香川県丸亀市~善通寺市~まんのう町~琴平町) 
2022年2月2日(水) 天候:晴れ   しらかわ記

新型コロナウイルスで「まん延防止等重点措置」が出ており、外出自粛が求められている中、金毘羅街道を14名で歩きました。

金毘羅街道は江戸時代中期以降に盛んになった金毘羅参りの道で、丸亀、多度津、高松、阿波、伊予・土佐街道の内、最も栄えた丸亀街道を歩きました。

本日のコースとコースタイムは以下の通り

JR丸亀駅(9:00)……太助燈籠(9:05~10)……中府の大鳥居(9:48)……コンビニ店(11:00~10)……願誓寺前(11:35)……富隈神社(昼食)(12:00~35)……高灯籠(13:40~50)……JR琴平駅(13:55~14:13)

   歩行距離:17.2㎞、 歩行時間:3時間55分、 休憩、昼食を含む所要時間:4時間55分

1,自動車、鉄道の無い時代の道で当時の面影は灯籠、丁石、鳥居、神社、寺で見ることになります。
 丸亀市内は、住宅、道路建設などで灯籠、丁石がかなり移設されており、パンフレットなどの説明を見ないと理解出来ない様に感じました。

2,歩行距離15㎞以上は久しぶりでしたが天候に恵まれて充実したウォーキングを楽しむことが出来ました。

3,金毘羅街道は丸亀街道以外にもあるので、時期をみて別の金毘羅街道も歩いてみたい。

 
北側(続きは右側の地図)            南側
▲GPS軌跡図

▲太助燈籠(9:05):天保3年(1832年)に建立され、
最高額80両を寄進した塩原太助の名をつけて太助燈籠と呼ばれている。

▲太助燈籠前で

みなと公園にある観光用金毘羅船

▲みなと公園にある一対の灯籠

みなと公園の金毘羅街道の説明用陶板

みなと公園から見た北方面の風景(9:10)

寿覚院山門前の灯籠と道標(9:25):
灯籠は平成6年にここに移されたようである。


寿覚院(9:28)元丸亀藩主山崎家の菩提寺

道標(9:30):明治13年(1880年)建立で北面に「すくこんひら」、東面に「左こんひら道」南面に「右かわくち」と刻まれている。

▲南条町の石灯籠(9:32)

▲百四十丁石灯籠(9:40):移設された灯籠

百五十丁石の起点石(9:46):移設された丁石

中府の大鳥居(9:48)

▲平成の丁石(10:10):二十丁石(柞原)

▲正面寺の自然石灯籠(10:26)

▲一里屋の灯籠(10:41)

▲神社前の灯籠(10:47)

▲コンビニ店で弁当購入と休憩(11:00~10)

▲角下組石灯籠(11:23):七十丁:
金毘羅街道(百五十丁)の中間地点

与北茶堂跡の灯籠(11:25):
街道で一番大きな灯籠:善通寺市与北町

▲角上組石灯籠(11:28)

▲願誓寺バス停でHさんが合流(11:35):丸亀市垂水町

▲平成の丁石(11:45):九十丁(山下の道標)

富隈神社に到着(12:00)まんのう町公文

富隈神社:江戸時代より金比羅宮参拝者に
親しまれていたようである。

神社で昼食:東側の眺望が素晴らしい。風が無く快適でした。

▲神社の石段

▲神社を出発(12:35)

▲まんのう町(12:37):まんのう町公文

▲平成の丁石(12:40):百十丁の標示と道順を表示

▲自然石の灯籠と百二十四丁石(12:53)

▲百二十四丁石(12:53):まんのう町西高篠

▲天領代官所跡の説明版(13:00):
この地:琴平町榎井は幕府の天領であった処

高灯籠(13:40~50):万延元年(1860年)に完成。高さ27mで丸亀の沖合を通る船や金比羅さんを目指す人々の目印になっていたようだ。

高灯籠前で

JR琴平駅に到着(13:55)

JR琴平駅の灯籠:江戸の文字も